未完成な僕のアップデートログ

未完成な僕が学んだことや感じたこと、考えたことをここにアウトプットしてNew Versionになり続ける!Updateし続ける!っていうブログです(笑)

デザイン思考とは??

こんばんは、はるきです。

 

あ、宣伝なんですが僕、VALU始めました。実際は、やりながら勉強していく感じで回そうと思っています。よろしければ、そっちもぜひチェックしてください!!損はさせないし、僕自身が先に進むための第一歩なので期待しておいてください。

valu.is

 

さて、このVALU中の挨拶文にもあるんですが、「デザイン思考」という言葉を僕は使っています。恐らく、そこまで馴染みのない言葉だと思うのでこの記事で一旦説明させてもらいます。

 

説明として分かりやすかったものとして引用しますが、“デザインしたサービスやプロダクトの先にある ユーザー を理解し、仮説を立て、初期の段階では明らかにならなかった第二の戦略や代替する解決策を特定するために問題を再定義する、一連の問題解決の考え方のことです。そして、ただ考えるだけではなく、行動しながら考え、より良い結果を追い求めるための方法でもあります。”というものです。(以下参照)

 

ferret-plus.com

もっと詳しく知りたい方はこちらがよいかと。

u-site.jp

 

さて、僕はこれを少しかじって「面白い!これは脱近代に必要なものだ!!」と思い、もっとやりたいと思ったわけです。(→どこで学んだかは、別の記事で笑)

 

僕が、なぜ「デザイン思考」がこれからの時代に必要だと思うのかを説明します。

 

なぜなら、“人”が中心にいるからです。

 

デザイン思考において、「ユーザー・人を観察する」ところから全ては始まります。そうして問題を見つけ出し、そこに対するアプローチを考えます。これは、誰かの抱える不満・課題でもいいし、地球規模の問題でもいいかもしれません。まだ顕在化していない問題の見つけ方と、それに苦しむ人の心の声を汲み取ったアプローチを探す・作るプロセスがデザイン思考です。

 

僕は、そこには「人の温かさ」「思いやり」と言った人間的な感情があって、初めて知った時、僕はとても衝撃を受けました。

 

テクノロジーの進化による時代の変化に対しては、こういった「人の情緒的な在り方」みたいなものが失われ、無機質な世界が来る、みたいな想像をされます。

 

しかし、デザイン思考がもたらすものはそういった世界観ではなく、「人が人として、情緒的であること」を重視した考え方である、故に僕はこの考え方がこれから必要になる、と考えています。

 

そうはいっても、これからの時代の変化に対しては、前の記事に書いた通り「適応できるか、出来ずに死ぬか、ガラパゴスみたいにそこでしか生きていけない囲いを作るか」だと思っています。(以下参照)

 

unfinished-sasaharuki-update.hatenablog.com

 

なのでこれからの時代に適応し、生きていくためには「人」を見て問題を洗い出し、イノベーションを起こすデザイン思考はまさに欠かせないものなのです。

 

もっと知りたい方や、実践してみたい方は、別の記事にするのでしばしお待ちを。

 

facebook, twitter, コメント欄等で質問や意見をお待ちしています。

 

さあ、アップデートしようか。

もっとも時代に適応したのは誰か?

こんばんわ、はるきです。

 

突然ですが、皆さんの周りにこんな言葉を使う“大人”いませんか?

 

「〇〇は現代っ子だね」

 

ん?

 

それっておかしくね?といちいち突っかかる男、私はるきは思ったのでした。

 

そもそも、子どもは“もっとも現代(その時代)に適応している存在”であることを、彼ら“大人”は知らないのだろうか?

 

幸か不幸か、今の時代はテクノロジーの進歩に引っ張られて、あらゆる“変化の速度”が増しています。

 

現代っ子もいずれは現代っ子ではなくなります、そのスピードも当然速まります。

 

いわゆる子どもは、生まれた時代に合わせて適応する存在です。例えば、今の子どもにゲームボーイを見せると画面を触ろうとするというのはまさにいい例です。子どもは、ボタンで動かすということを知らないのです。

 

僕はこういうテクノロジー系の勉強をしているので、何かとコンピューターに例えるのですが、“変化に適応した・最もアップデートされたハードが子ども”です。(iPhoneXみたいな)

とすると、大人ってのはもう“廃れた・オールドファッションなハード”なわけです。(iPhone5S くらい笑)

 

悲しいかな、これは紛れもない事実です。

 

しかし、コンピューターと違って人間の脳・OSに関しては違います!

われわれの脳・OSは、アップデートが可能なのだと僕は考えます!

 

この点に関しては、キングコングの西野さん”の姿勢がまさに“古いハードである大人たちの取るべき姿勢”を反映しています。以下は最近の彼の著書なので一読してみてください。

 

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

革命のファンファーレ 現代のお金と広告

 

 

「若者を肯定する。」

 

これが彼のスタンスです。

若者が潜在的に感じていることは、彼らが時代に対して感じていることだから。

“若者は時代を映す鏡”だからです。(西野じゃないよ、僕の言葉笑)

 

彼の考え方については詳しいことは書ききれなくなっちゃうので、本を読んでください。(笑)

 

現代っ子っていう響きからは、すでに大人との距離があって何かこう見下している感じがします。

 

しかし、いまはもう“年齢と人の価値・影響力が一致しない時代”です。優秀な奴は先輩なんてものをとっくに超えてます。

 

そんな時代において、若者から学ぶ姿勢を欠いていいのでしょうか?

これは何も、40,50代にのみ向けたものではありません。

僕は、恐らく今のペースだと“5~10年間隔”現代っ子が入れ替わると考えていいと思います。

 

これもいずれは2年間隔とかになります。

 

あなたはどんな姿勢で若者と向き合いますか?

こうしている間にもあなたは置いて行かれていますよ。

 

さあ、アップデートしようか。

 

#革命のファンファーレ 

 

 

 

 

弱い言葉、強い言葉。言葉ってなんだろう。

こんばんわ、はるきです。

 

最近考えてたんですけど、言葉(というか言語)って全人類がふつーに使ってますけど、すごく繊細で難しいですよね?

 

言葉の定義をしっかりしないと同じような話ししてても、まったく通じなかったり、少しずつずれたり。

 

日本人ってこの「言葉の定義」って部分が本当に融通無碍というか適当ですよね。

 

少し前かも知れませんが僕が気になった例を挙げると、ジェンダーレス男子」がめちゃめちゃ気持ち悪くて。ジェンダー(社会的な性)がない」+「男(生物学的・社会学的な性)」っていう自己矛盾。考えたやつバカだろ。と思ってしまいました。丸い四角ってとでも言われている感覚。

 

あと、最近の本で(僕は読んでないし読む気もない。興味ある方は読んで感想聞かせて笑)、こんなのがありました。

 

言葉は現実化する―人生は、たった

言葉は現実化する―人生は、たった"ひと言"から動きはじめる

 

 なんかこう、このタイトルにすごい違和感があって。僕の定義では、言葉って「物質・事象ないしは人間が知覚し得る虚構(感情や感覚、思い等→これもまた記事にします)を写し取ったもの」なんです。だから、僕の定義では「言葉で定義できない現実はないし、あってもそもそも人間は知覚できない」んですよね。だから、この本全く読む気になれなくて。。。

 

 

 

僕はこの「言葉の定義」って大事にしないといけないものだと思っています。ただ、とても難しい。

 

 

つい先日の例なんですが、大学のある授業でその授業は英語なんですが、"refugee"とか "sexual minority"の為に何かしよう。みたいな授業をやっているんです。その回は、シリアから日本にきている方がいらしていて、いつもの通り授業していました。その彼がディスカッション中に「なんで君たちはマイノリティって言葉をそんなに使うんだ?僕たちをそう呼ばないでくれ。」的なことを言っていました。

 

僕の友人の一人がいら立ちの感情を露にしながら話していたんですが、「マイノリティって言葉使うの良くないよ、彼が嫌だって言ってるんだからさ。彼らの為に何かしようとしている僕らがそういう言葉を使うべきではない」とクラスに言いました。僕は、「マイノリティは、相対的に見て少ない側に属する人たち」だと思っています。そこに優劣や上下もないです。そこにあるのは「差異であり、差別であるべきではない」と考えています。

 

しかし、「マイノリティ」に調べてみると、留意点として、数としては少数でなくても、差別や構造により社会的に弱い立場の集団を“マイノリティ”とする定義もある。」

(以下参照:社会的少数者 - Wikipedia)

 

英語ってその成り立ちからしても「勝者の言語」なのかなと思ってしまいました。僕の定義とは違うその言葉自身の定義の中に「差別」のニュアンスがありました。僕の友人は僕がそのつもりで使っているとはもちろん思っていないし、僕の説明もわかってくれました。

 

マイノリティという言葉は一例にすぎませんが、言葉そのものの定義に「負のニュアンス」が含まれているモノが他にもあるのでしょう。言葉は「写し取るもの」だと思っているので、事実そういった差別があったし現在進行形でしょう。

 

僕は改めて「言葉の定義の難しさ」を知ることが出来ました。 優劣、上下なんてものは主観でしかなく、言葉はその意味で「主観性を排除」しないといけないものであると考えていますが、まあ難しい。

 

友人と僕とで何かこう、マイノリティの代わりになる言葉を探そうとしましたが、うーんやっぱり難しい。(笑)

 

皆さんは何を思い何を考えて言葉を使っていますか?

少しでも考えるきっかけになると幸いです。

 

では、また。

質問・意見等は、コメント、facebook, twitterでくださいね。

 

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

これからの時代の生き方とは。

こんにちは、はるきです。

 

さて、前回の記事でこれからの時代は「人類vs機械」ではなく、「人類vs機械を使いこなす人類」が正しい構造の認識だよねっていう記事を書きました。(以下参照)

unfinished-sasaharuki-update.hatenablog.com

 

では、どうしたらこれからの時代を生きていけるのか?僕が空白期間に大量にインプットしてきたというのはこのあたりで、「これからの時代・環境と言った外部の変化」「これからの(人類含むその他諸々をすべて包含した内部が築く)世界の在り方」について学んできました。ので、今回はさらっとその辺について触れてみます。

 

 

いつの時代もテクノロジーは人々の生活に「利便性・効率性」を与えてきました。無論、環境汚染や様々な社会問題(最近の顕著な例は、”歩きスマホ”)等の結果的悪影響もあります。しかし、それ以上のよい効果、というより「変化」を与えてきました。”あらゆるものに対する変化”です。例えば、蒸気機関が出来たばかりの頃にユニクロが現在と同じほどの生産量を保つことが出来るでしょうか?江戸時代にシステムエンジニアは何人いたでしょうか? テクノロジーはあらゆるものを変化させます。その対象は、仕組みであり、社会であり、仕事であり、寿命でさえもです。

 

あらゆるものがテクノロジーによって変化していきますが、私たち人類はどのように生きていけばよいでしょうか?僕は前回の記事に書いた、「目的を設定するのは人間だ」というところに光があると思います。機械には欲求はありませんし、意識もありません。(この辺もみっちり記事にするんでお待ちを。あぁ早く書きたい!) 人間というのは何処まで行っても人間です。ピーマンが嫌いな人も好きな人もいますし(ちなみに僕は嫌い)、ドラクエが好きな人もいれば、やったことないやつもいます。

 

つまり、欲求・好み(嗜好性)が多様である」ということです。簡単に言えば「同じ人間は一人もいない」っていうやつです。僕はそこを突き詰めていくことでしか、人の価値はないと思います。同じ土俵で機械と勝負になるはずもなく、そういう姿勢・思考はもったいないと考えます。「はじめしゃちょー」や「HIKAKIN」さんたちYouTuberの、「好きなことで生きていく」はまさにそれだと僕は思います。

 

これから大きく世界は変わります。良くも悪くも。それは誰かに止められるものでもなく、そうなった試しもありません。適応できるか、出来ずに死んでいくか、ガラパゴスみたいに極めて限られた環境でしか生きていけないか、のいずれかです。

 

そういった意味で日本はガッチガチですよね。変化に疎い。この日本という泥船はいつ沈むのか?あなたはこの巨大なタイタニック号に乗ったままですか?違う船に乗りますか?

 

これからの時代、どう生きてみたいか考えてみてください。

今日はさらっとこの辺にしておきます。

ありがとうございました。

質問や意見等は、コメント, facebook, twitter等でも待ってます。

 

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

シンギュラリティに向かうこれからの時代について。

こんにちは、はるきです。

とりあえずブログに戻ってから一日は続きましたね(笑)

 

何かこう、空白期間に大量にインプットしたので書きたいことがいろいろあるのですが、問題は「何を最初に書くか?」です。いろんなことに触れて、いろんな勉強をして、それをこうして書いて残すときに何を最初に持ってこようか。

 

考えてみました。そして、決めました。

 

「これからの時代への認識」について最初に書こうと!(パチパチ)

 

そしてその第一歩として皆さんに質問です。「AI・機械が人の仕事を奪う」という話についてどうお考えですか?どのような考えをお持ちですか?果たして正しいのか、間違っているのか。皆さんなりの意見を用意してから読み進めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、「1割正解・9割間違い」だと考えます。

状況を表す言葉としてめちゃめちゃ大目に見て「1割正解」としました。しかし、より正確に言い換えるならば、「AI・機械で代替可能な仕事は、機械に任せられる」だと考えます。

 

「言葉の綾だろ。」って思ったそこのあなたは本質的な部分が見えていないかもしれません。僕が言い換えた中の重要なポイントは、いくつかあります。まず、「代替可能な」という点です。これは単にこの世のすべての人の仕事がなくなるわけではありません。という意味であり、ということは状況として「機械の仕事と人間の仕事」に分けられるということです。次に重要なのは、「任せられる」という言い回しです。これは「機械に任せる“主体”の存在」を念頭に置いた表現だからです。その主体とはもちろん我々人類です。一方で、AIというのは、あくまで「機械・マシン」なので、「目的に沿った活動」しかしないし、できません。この「目的を設定する」のも、先ほどと同様に人間の仕事です。つまり、この「AI・機械を使うのは人間である」、ということです。

 

以上の僕の解釈をまとめるとすると、「AI・機械が仕事を奪う(人類vs機械)」の構造は正しい認識ではなく、「AI・機械で代替可能な仕事は、機械に任せられる(人類vs機械を使いこなせる人類」であると考えます。

 

今後、様々なことをこのブログでアウトプットしていきたいと考えていますが、「そのすべてにおける第一歩」としてこの認識を共有しておきたいと思いましたので、今日はここまでにしておきます。

 

質問や意見等はコメントでも、facebook, twitterでもなんでもください。

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

再び舞い戻ってきました(笑)

こんにちは、はるきです。

 

 

最後に更新したのが3月なので、がっっっっっっっっっつり空いてしまいましたね。(笑)

 

なんというか、この空白の期間(セブ留学から今の今まで)は正直たくさんインプットをしてきました!(→たださぼっただけでないです、それなりに活動してましたアピール。笑)

 

セブから帰ってすぐにとあるインターンに参加し(これまた面白かった!)、本を読み漁り、ゼミ・授業で先生に教わり、講演会に顔を出し、一人黙々と考え、友人に自分の考えを伝えて指摘してもらい、を繰り返して。

 

こうしておよそ8か月、五感を使ってインプットしてきました。

 

正直、書きたいこともありすぎるし、このブログっていうツールは自分の思考を言語化ないし構造化する上でそれなりに意味のあるツール(自分自身も見れる且つ社会からの目にもさらされる点において)だと考えているので、じゃんじゃん書いていきたいと思います。

 

きっちり、まめにコツコツ書いていくというよりは、その都度疑問に思ったことを書いて、見た人に対してなにか変化を与えられたらなと思っているので、お手柔らかにお願いします!

 

ほんじゃ、ぼちぼちアップデートしましょうや。

 

 

すんごくお久しぶりです(笑)

皆さんお久しぶりです、はるきです。 まあ身の回りで色々と忙しいことがあって長期間更新できなかったんです。

 

さて、突然ですが私は今どこに来ているかと申しますと、フィリピンセブ島に来ております!!(お祭り男風)

今週から2週目に入っていてもうしばらく滞在するんですけど、英語をもっと向上させるためにやってきた次第です。ほんとに突然の発表ですね~(笑)前回の(大学に行く意味って何?? - 未完成な僕のアップデートログ)から随分ぶっ飛んだことになってますね。(笑) まあこっちでの生活、何しに来たのか詳しい理由、セブ島のどこら辺にいるのか、などなどそのうち書きますね!

 

いやー、発展途上バリバリのフィリピン。もうねーびっくりすることだらけです。(笑) 僕にとって初めての1人海外初東南アジアなんですけど、もう興奮しっぱなしです!初1人海外ということもあって良いアップデートが期待できそうです!(笑)

 

さあ、いっちょ進化しますかねぇ!

 

ではまた!

 

#フィリピン #セブ島 #Cebu