未完成な僕のアップデートログ

未完成な僕が学んだことや感じたこと、考えたことをここにアウトプットしてNew Versionになり続ける!Updateし続ける!っていうブログです(笑)

弱い言葉、強い言葉。言葉ってなんだろう。

こんばんわ、はるきです。

 

最近考えてたんですけど、言葉(というか言語)って全人類がふつーに使ってますけど、すごく繊細で難しいですよね?

 

言葉の定義をしっかりしないと同じような話ししてても、まったく通じなかったり、少しずつずれたり。

 

日本人ってこの「言葉の定義」って部分が本当に融通無碍というか適当ですよね。

 

少し前かも知れませんが僕が気になった例を挙げると、ジェンダーレス男子」がめちゃめちゃ気持ち悪くて。ジェンダー(社会的な性)がない」+「男(生物学的・社会学的な性)」っていう自己矛盾。考えたやつバカだろ。と思ってしまいました。丸い四角ってとでも言われている感覚。

 

あと、最近の本で(僕は読んでないし読む気もない。興味ある方は読んで感想聞かせて笑)、こんなのがありました。

 

言葉は現実化する―人生は、たった

言葉は現実化する―人生は、たった"ひと言"から動きはじめる

 

 なんかこう、このタイトルにすごい違和感があって。僕の定義では、言葉って「物質・事象ないしは人間が知覚し得る虚構(感情や感覚、思い等→これもまた記事にします)を写し取ったもの」なんです。だから、僕の定義では「言葉で定義できない現実はないし、あってもそもそも人間は知覚できない」んですよね。だから、この本全く読む気になれなくて。。。

 

 

 

僕はこの「言葉の定義」って大事にしないといけないものだと思っています。ただ、とても難しい。

 

 

つい先日の例なんですが、大学のある授業でその授業は英語なんですが、"refugee"とか "sexual minority"の為に何かしよう。みたいな授業をやっているんです。その回は、シリアから日本にきている方がいらしていて、いつもの通り授業していました。その彼がディスカッション中に「なんで君たちはマイノリティって言葉をそんなに使うんだ?僕たちをそう呼ばないでくれ。」的なことを言っていました。

 

僕の友人の一人がいら立ちの感情を露にしながら話していたんですが、「マイノリティって言葉使うの良くないよ、彼が嫌だって言ってるんだからさ。彼らの為に何かしようとしている僕らがそういう言葉を使うべきではない」とクラスに言いました。僕は、「マイノリティは、相対的に見て少ない側に属する人たち」だと思っています。そこに優劣や上下もないです。そこにあるのは「差異であり、差別であるべきではない」と考えています。

 

しかし、「マイノリティ」に調べてみると、留意点として、数としては少数でなくても、差別や構造により社会的に弱い立場の集団を“マイノリティ”とする定義もある。」

(以下参照:社会的少数者 - Wikipedia)

 

英語ってその成り立ちからしても「勝者の言語」なのかなと思ってしまいました。僕の定義とは違うその言葉自身の定義の中に「差別」のニュアンスがありました。僕の友人は僕がそのつもりで使っているとはもちろん思っていないし、僕の説明もわかってくれました。

 

マイノリティという言葉は一例にすぎませんが、言葉そのものの定義に「負のニュアンス」が含まれているモノが他にもあるのでしょう。言葉は「写し取るもの」だと思っているので、事実そういった差別があったし現在進行形でしょう。

 

僕は改めて「言葉の定義の難しさ」を知ることが出来ました。 優劣、上下なんてものは主観でしかなく、言葉はその意味で「主観性を排除」しないといけないものであると考えていますが、まあ難しい。

 

友人と僕とで何かこう、マイノリティの代わりになる言葉を探そうとしましたが、うーんやっぱり難しい。(笑)

 

皆さんは何を思い何を考えて言葉を使っていますか?

少しでも考えるきっかけになると幸いです。

 

では、また。

質問・意見等は、コメント、facebook, twitterでくださいね。

 

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

これからの時代の生き方とは。

こんにちは、はるきです。

 

さて、前回の記事でこれからの時代は「人類vs機械」ではなく、「人類vs機械を使いこなす人類」が正しい構造の認識だよねっていう記事を書きました。(以下参照)

unfinished-sasaharuki-update.hatenablog.com

 

では、どうしたらこれからの時代を生きていけるのか?僕が空白期間に大量にインプットしてきたというのはこのあたりで、「これからの時代・環境と言った外部の変化」「これからの(人類含むその他諸々をすべて包含した内部が築く)世界の在り方」について学んできました。ので、今回はさらっとその辺について触れてみます。

 

 

いつの時代もテクノロジーは人々の生活に「利便性・効率性」を与えてきました。無論、環境汚染や様々な社会問題(最近の顕著な例は、”歩きスマホ”)等の結果的悪影響もあります。しかし、それ以上のよい効果、というより「変化」を与えてきました。”あらゆるものに対する変化”です。例えば、蒸気機関が出来たばかりの頃にユニクロが現在と同じほどの生産量を保つことが出来るでしょうか?江戸時代にシステムエンジニアは何人いたでしょうか? テクノロジーはあらゆるものを変化させます。その対象は、仕組みであり、社会であり、仕事であり、寿命でさえもです。

 

あらゆるものがテクノロジーによって変化していきますが、私たち人類はどのように生きていけばよいでしょうか?僕は前回の記事に書いた、「目的を設定するのは人間だ」というところに光があると思います。機械には欲求はありませんし、意識もありません。(この辺もみっちり記事にするんでお待ちを。あぁ早く書きたい!) 人間というのは何処まで行っても人間です。ピーマンが嫌いな人も好きな人もいますし(ちなみに僕は嫌い)、ドラクエが好きな人もいれば、やったことないやつもいます。

 

つまり、欲求・好み(嗜好性)が多様である」ということです。簡単に言えば「同じ人間は一人もいない」っていうやつです。僕はそこを突き詰めていくことでしか、人の価値はないと思います。同じ土俵で機械と勝負になるはずもなく、そういう姿勢・思考はもったいないと考えます。「はじめしゃちょー」や「HIKAKIN」さんたちYouTuberの、「好きなことで生きていく」はまさにそれだと僕は思います。

 

これから大きく世界は変わります。良くも悪くも。それは誰かに止められるものでもなく、そうなった試しもありません。適応できるか、出来ずに死んでいくか、ガラパゴスみたいに極めて限られた環境でしか生きていけないか、のいずれかです。

 

そういった意味で日本はガッチガチですよね。変化に疎い。この日本という泥船はいつ沈むのか?あなたはこの巨大なタイタニック号に乗ったままですか?違う船に乗りますか?

 

これからの時代、どう生きてみたいか考えてみてください。

今日はさらっとこの辺にしておきます。

ありがとうございました。

質問や意見等は、コメント, facebook, twitter等でも待ってます。

 

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

シンギュラリティに向かうこれからの時代について。

こんにちは、はるきです。

とりあえずブログに戻ってから一日は続きましたね(笑)

 

何かこう、空白期間に大量にインプットしたので書きたいことがいろいろあるのですが、問題は「何を最初に書くか?」です。いろんなことに触れて、いろんな勉強をして、それをこうして書いて残すときに何を最初に持ってこようか。

 

考えてみました。そして、決めました。

 

「これからの時代への認識」について最初に書こうと!(パチパチ)

 

そしてその第一歩として皆さんに質問です。「AI・機械が人の仕事を奪う」という話についてどうお考えですか?どのような考えをお持ちですか?果たして正しいのか、間違っているのか。皆さんなりの意見を用意してから読み進めてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、「1割正解・9割間違い」だと考えます。

状況を表す言葉としてめちゃめちゃ大目に見て「1割正解」としました。しかし、より正確に言い換えるならば、「AI・機械で代替可能な仕事は、機械に任せられる」だと考えます。

 

「言葉の綾だろ。」って思ったそこのあなたは本質的な部分が見えていないかもしれません。僕が言い換えた中の重要なポイントは、いくつかあります。まず、「代替可能な」という点です。これは単にこの世のすべての人の仕事がなくなるわけではありません。という意味であり、ということは状況として「機械の仕事と人間の仕事」に分けられるということです。次に重要なのは、「任せられる」という言い回しです。これは「機械に任せる“主体”の存在」を念頭に置いた表現だからです。その主体とはもちろん我々人類です。一方で、AIというのは、あくまで「機械・マシン」なので、「目的に沿った活動」しかしないし、できません。この「目的を設定する」のも、先ほどと同様に人間の仕事です。つまり、この「AI・機械を使うのは人間である」、ということです。

 

以上の僕の解釈をまとめるとすると、「AI・機械が仕事を奪う(人類vs機械)」の構造は正しい認識ではなく、「AI・機械で代替可能な仕事は、機械に任せられる(人類vs機械を使いこなせる人類」であると考えます。

 

今後、様々なことをこのブログでアウトプットしていきたいと考えていますが、「そのすべてにおける第一歩」としてこの認識を共有しておきたいと思いましたので、今日はここまでにしておきます。

 

質問や意見等はコメントでも、facebook, twitterでもなんでもください。

 

さあ、アップデートしようか。

 

 

再び舞い戻ってきました(笑)

こんにちは、はるきです。

 

 

最後に更新したのが3月なので、がっっっっっっっっっつり空いてしまいましたね。(笑)

 

なんというか、この空白の期間(セブ留学から今の今まで)は正直たくさんインプットをしてきました!(→たださぼっただけでないです、それなりに活動してましたアピール。笑)

 

セブから帰ってすぐにとあるインターンに参加し(これまた面白かった!)、本を読み漁り、ゼミ・授業で先生に教わり、講演会に顔を出し、一人黙々と考え、友人に自分の考えを伝えて指摘してもらい、を繰り返して。

 

こうしておよそ8か月、五感を使ってインプットしてきました。

 

正直、書きたいこともありすぎるし、このブログっていうツールは自分の思考を言語化ないし構造化する上でそれなりに意味のあるツール(自分自身も見れる且つ社会からの目にもさらされる点において)だと考えているので、じゃんじゃん書いていきたいと思います。

 

きっちり、まめにコツコツ書いていくというよりは、その都度疑問に思ったことを書いて、見た人に対してなにか変化を与えられたらなと思っているので、お手柔らかにお願いします!

 

ほんじゃ、ぼちぼちアップデートしましょうや。

 

 

すんごくお久しぶりです(笑)

皆さんお久しぶりです、はるきです。 まあ身の回りで色々と忙しいことがあって長期間更新できなかったんです。

 

さて、突然ですが私は今どこに来ているかと申しますと、フィリピンセブ島に来ております!!(お祭り男風)

今週から2週目に入っていてもうしばらく滞在するんですけど、英語をもっと向上させるためにやってきた次第です。ほんとに突然の発表ですね~(笑)前回の(大学に行く意味って何?? - 未完成な僕のアップデートログ)から随分ぶっ飛んだことになってますね。(笑) まあこっちでの生活、何しに来たのか詳しい理由、セブ島のどこら辺にいるのか、などなどそのうち書きますね!

 

いやー、発展途上バリバリのフィリピン。もうねーびっくりすることだらけです。(笑) 僕にとって初めての1人海外初東南アジアなんですけど、もう興奮しっぱなしです!初1人海外ということもあって良いアップデートが期待できそうです!(笑)

 

さあ、いっちょ進化しますかねぇ!

 

ではまた!

 

#フィリピン #セブ島 #Cebu

大学に行く意味って何??

皆さんこんばんわ、はるきです。

さてさて、今回は「大学に行く意味って何?」というのをテーマに少し考えてみたいと思います。

 

このブログを見てくれている人の中には、現在大学生の方が多いと思いますが、皆さんはなぜ大学に通っていますか?大学生であれば、この手の質問はされたことが多いと思います。「就活に有利だから。」とか「親に行けって言われた。」とか様々あると思います。ですが、僕自身はというと浪人して苦労して大学に入ったため割と「しっかり勉強しよう!!学者になるわけでもないけどやりたいことも全部やって充実させよう!」と意気込んでました。(笑)事実、僕はサークルがち勢や社畜勢よりはよっぽど勉強してると思うのですが。。。 また中にはスポーツのすっごい有名な人が強豪の大学に入ってやってたり(一口にスポ選と揶揄するのはどうかと思います。)、本当に勉強が大好きで通ってる人もいると思いますが、やはり少数だと思います。はたから見て、「こいつ何しに大学来てるのかな?」って人結構いると思います。何かこう目的を見出せばいいのになあ。惰性で大学来てサークルやって、バイトして、そのお金でパンケーキ食ってインスタのっけて。(全国の女子大生の方を敵に回したいわけではありません笑) 気の合う友達と遊びに出かけたり、ショッピングしたりってすごく楽しいんですけど、高校生とやってること変わらなくない?と思っちゃうんですよね。何だろう、浪人すると冷めちゃうのかな。(笑) 

 

こうやって書くと大学生がだらしないみたいに聞こえるけど、この契機は大学が飽和してる日本と、その日本社会が大学信仰みたいなものを作り上げてしまっていることだと僕は思います。いつからか「大学行くのが当たり前。」になっているから意味を見いだせない大学生が随分多いのかなと感じます。今更ですがこんなことをブログに書こうと思ったのにはわけがありまして、皆さん最近ニュースをご覧になりましたか?その中で僕が気になったのは、2つあります。1つは「大学授業料の無償化へ。自民党が『教育国際』発行の検討」というのと、「土屋太鳳 出席日数足らず留年」という記事です。

 

まず、授業料の無償化について僕なりに考えてみると、「いや、大学減らせよ。」という結論です。(笑) 偏差値体温みたいな(あって微熱程度)、名前書いたら受かるような大学が腐るほどあると思うんですよ。いっそ専門学校みたいな職業訓練校にして手に職をつけさせるほうがよっぽどためになると思うんですけどねえ。なんかこうもっと合理的に考えろよと思ったニュースでした。

 

続いては土屋太鳳ちゃんです。最初に断っておくと僕は土屋太鳳ちゃんのアンチでも何でもないです。(笑)テレビをほとんど見ない僕ですら彼女を知っているので皆さん名前は御存知だと思います。見出しの通り、彼女は留年するらしいのですが僕はむむっ!と思ったわけです。それは、「いや、大学中退すればよくね?」というものです。いや、単純な疑問なんですが彼女のこれからの女優人生において「大卒」っていう肩書は果たしているのか?というものです。彼女は舞踏学専攻らしいのですが、彼女みたいに名が知れてて、実績もあるのであれば大学っていう組織にいなくともその界隈の素晴らしい先生に師事することはできるんじゃないかと。

俳優、アイドル、モデル等々の方ってどっかの就活ように大卒がほしいんですかね?通いもしない大学に籍を置くことに意味があるのか僕はとても不思議でなりません。なにかこれも日本独特の大学信仰の気がして気味が悪くないですか?例えば、Justin Bieberが大学に通ってないからと言っても、その印象が下がることはないし人気も年収も上がり続けているでしょう。お金を稼ぐこと=大学進学でも何でもないのに、なんでこんなに意味のない大学があってこんなに大学信仰が強いのかなあと不思議に感じたので記事にしてみました。

 

最後に、この「大学に行く意味って何?」っていうことへの皆さんの意見をコメントしてください。また、今回取り上げた2つのニュースについてのコメントもお待ちしています。僕自身の後学のためにぜひ皆さんのコメントをお願いします。

 

 

では。

僕ってこんな人! Part 2

皆さんこんばんわ、はるきです。だいぶ日にちが空いてしまいましたが、大学のテストやらレポートに追われていました。(笑) 申し訳ないです。

 

さて、今回は前回に引き続き「はるき」がどんな人間かを知ってもらうべく「僕ってこんなひと! part 2」ということで、大学期となぜこのブログを始めたのか、ということについて書いていきたいと思います。

 

前回の続きから、一年の過酷な浪人生活を終えて晴れて大学生となった僕でした。結果は、現役のときの第一志望の大学でしたがとりあえず合格したし、浪人時代に学んだこと無駄にしよう!!と意気込んで大学に行きました。

 

学年ごとに振り返ってみると、1年生のうちは、サークルとバイトと遊び。はい、これだけです。あんなに苦労して大学に入ったのに、一年生のうちはこれです。僕自身やはり大学に入れた嬉しさもあり、せっかくだし遊びも楽しもう!と思いましたが、サークルバイしかしてませんでした。もちろん勉強だけでなく、遊びも頑張ろうと思い入学しました。両立できると、みんな案外できているもんだろうと。でも、サークルだけ、とかバイトだけ、みたいな先輩やら同期がいただけで、僕の思うような大学生活ができませんでした。サークルも妙に厳しくて、変な仲間意識・同調性だけが異様に強い集団は、僕には気味が悪かったです。いや、決して悪いものではないと思います。が「大学生にもなって組織に居場所求めてたらダメだろ。」と僕は思っていました。だから、お世話になったごく少数の先輩の卒業時期に僕もきっぱり引退を決意しました。一年生のうちはこうして典型的な大学生活を送りました。「こんな生活がしたくて、浪人したんじゃない。」と思い、2年生は無駄にしないぞ!浪人の時に先生に教わったことを活かすんだ!と決意し1年生を終えました。

 

2年生、僕はさっさとサークルをやめたので、だいぶフリーになりました。(時間の制約から解放されて気分がよかったです笑) 2年生の目標は「きちんと勉強しよう!」にしていたので、いわゆる「楽単」ではなくアカデミックな授業を取りました。周りが留学生だらけの授業もとったから、英語もかなり触れる機会があったしきつかったです。しかし、1年生の時とは比肩できないほど充実感を得ました。「これだ。僕がやりたかった大学生活はこれだ!」と心の底から感じました。たくさんの助けや出会いもありました。僕は人見知りもなく、積極的な性格のせいなのか、はたまたほんの少しの人徳でもあったのか、「僕が仲良くしたい、ぜひお近づきになりたい!」と思った人には良くしてもらえます。様々な国からの留学生や先生、先輩に本当にこの一年お世話になって色々と勉強になりました。僕は変な差別意識(宗教や育った環境、ゲイやレズ等)がほぼないし、むしろそういった自分にないものを持っている人と積極的にかかわりたいと考えているから、僕の態度にもそういったものが良い意味で反映されているのかもしれませんね。(笑) まあ勉強する!といっても本を読むだけでは、授業をただ受けるだけでは意味がないと思い、今年度は昔の友人、同級生にも頻繁に会うようにしました。彼らは学年が1つ上ということもあり非常に濃密な時間が過ごせました。俺はこんなゼミでこんな勉強してる、俺は実は政治家のこんな事務所でインターンしてる、など周りも頑張ってるから負けられない!と彼らにはいつも励まされています。ざっくりしすぎて、あまりまとまりませんでしたがこの一年間本を読み、授業まじめにやり、積極的に人と関わり、人脈を広げまた再確認してきました。

 

こんな風に大学生活前半を終えた僕ですが、1年生はダメダメで2年生はまずまず。といった程度に過ごしてきました。ついこないだ浪人を終えたと思ったら、もう大学生活が折り返し。「なにか行動を起こさなくては!!」と思いこのブログを始めたのが本音です。こう思い始めたのは、なにも勉強が死ぬほど好きだから!ではなく、死ぬほど就活したくないから。です。(笑) ほんっとにやだ。あんな宗教がかった一大イベントはやりたくないっす。(笑)これが一番の動機です。あと、この一年間勉強してて思ったのですが、勉強って、したことを他人と比較して、そのことについての他人の意見を取り入れることで昇華してあげると、もっと意味のあるものになると思いました。実際に友達に会って、話してそれを実感するのも本当に貴重ですが、そうそう都合があうものでもないし、「どっかで僕の勉強したことやら感じたことを発信して、それにコメントもらう場を作ればいいんだ。」と思い始めました。そこでブログの登場ってわけです。(笑) 書くことで自分の思考を整理し直す意味もあっていいかなと思いました。

 

アバウトかもしれないですが、こんな動機でブログをはじめました。この記事内だけでも、就活に対して同様、または反対の意見等もあったりみんな色々考えることはあると思います。なので、閲覧された方(様々な立場・考え方の方がいると思いますので)からはぜひ、簡単なコメントを頂きたいと思っています。ぜひこれからもよろしくお願いします。

 

最後に、先ほど「組織に居場所を求めるのはやだ。」と言いましたが、僕は「僕・はるき」を通じて誰かと誰かがつながってくれたらいいなと思っています。人をつなぐのは人であり、環境を作るのも人、だからこそ環境が変われば人は変われると思うし、僕自身が誰かが変われるための環境になりたいなっていう思いがあります。そしてこのブログを通して、なにか自分自身も成長ができるように頑張っていきたいと思います!!

 

では、これからどうぞよろしくお願いします。