(全日本人いや人類必見) "自信"はどこにあるのか??
おはようございます、はるきです。
どうですか?スマホで書いた記事問題なく読めてますか??クレームもないみたいなので問題なしと受け取りますね(笑)
今日の本題ですが、ずばり、"自信"です。
これについて書くきっかけをくれたのはとある授業でのグループワークでした。
仲のいい後輩ちゃんがいたのですが、普段は元気なのにどういうわけか黙り込む。
「どうして意見出さないの?」と聞くと、「いや、皆さんがすごい意見出すから"自信"ががなくて」
ここでまた、僕の"思考スイッチ"が全開になりました。(笑)
天下の広辞苑で、自信を調べてみると「自分の能力や価値を確信すること。」とありますが、僕に言わせると足りないです。そこで僕の考えを、いくつかのステップに従って説明します。
ここでまず、注目したいのは自信に繋がる"動詞"です。
1. 自信が"ある、ない。" (自動詞)
2. 自信を"つける、つけない。" (他動詞)
これらの言い方がある。というのを頭に入れていただきたいと思います。
1は自動詞=自然発生で、2は他動詞=誰かの力が働いて発生する、という分け方ができます。
第二に、どちらが本質的な"自信"を表しているか、が重要なわけですが、僕は2番であると思います。
つまり、「他動詞=誰かの力が働いて発生した」という定義の自信です。
自信を生み出すのは、"あなた"ではなく、"あなたのいる社会・場"であるということです。
1と2の自信をわかりやすく言い換えると、
1. 自信=自分を信じること (自動詞的)
2. 自信=社会(場)における自分の信用度(他動詞的)
であると僕は定義しました。
先程の例に挙げた後輩ちゃんの「自信がない」は、自分を信じられないと言うより、「そのグループワーク(社会・場)において、自身の信用度があるのかわからない」だと思います。
皆さんの周りで、あるいはご自身で「自信がない」と口にされる方はどうお考えですか?
僕の勝手な妄想で喋ると、恐らく僕の指摘が正しいのではないでしょうか?
社会における、自分の信用度をあなた自身が認知できる程か、そうではないか。それが"自信のあるなし"ではないでしょうか?
自分を信じる(価値も知らずに盲目的に)っていうのは、よほどのバカか変態しかいないですよ。(笑)
社会的な動物とか何とか言われる人間が、社会において自分の価値を見出さずしてどうするのか。
自分を信じること、とか言う広辞苑もバカだし、そこに疑問を持たなかった先人達もバカですよねえ。。。
この、"信じる"という動詞が僕はどうも好きではないんです、だって信じるって「ないものをある」と決めつける"思考停止"のことじゃないですか。神さまとか。敬虔な信者の方ごめんなさい。(笑)
僕はその意味で、社会において自分の価値を与えられると思ってますしこれからぐんぐん伸びると思ってます!
信じると言うか、確定した事実だろう、くらい思ってます(笑)
皆さんの解釈はいかがでしょうか?
コメント等お待ちしています。
VALUもおねがいします🤲
皆さんの支援がないと僕はシリコンバレーに行けません!!!!
さぁ、アップデートしようか。