(全日本人必見) "あなた"より先に生まれる"あなた"の正体とは
こんばんは、はるきです。
相変わらず実家に来ても、のーんびりしながらボケーっと何かについて考えてます(笑)
今日は"アイデンティティ"というものについて話そうかと思います。
タイトルの「あなたより先に生まれるあなた」、ということに関して話すつもりなのですが、個人的には程度の差はあれど"全人類"に適応でき得ることだと思います。
これを考えるきっかけとなったことは、僕自身の普段の行動と友人の反応、そして普段の思考がきっかけでした。
僕は普段、友だちとの色々と抽象度の高い話をしたりします(ご飯食べながらとかでも平気で笑) その中でよく僕は、「僕って、はるきくんが好きなんだよね。」と言います。
ナルシストだ〜。みたいなことではないのですが(いや自信家なので否定もできないかも→自信の記事見てね笑) 、周りの友人も最初は「???」みたいな反応をするので、今日記事にしようと決めました。
僕が言いたいのは、"社会に対するアイデンティティとしてのはるき"が気に入っているということです。
これを説明するためにはいくつかステップが必要です。
まず、"アイデンティティの種類"です。
アイデンティティと一口に言っても、そうそう単純なものではありません。
1. 社会性としてのアイデンティティ (はるき)
2. 意識・自我としてのアイデンティティ(私・僕・I etc)
この二つがある、ということを理解してください。
次に、1と2どちらのアイデンティティが先に構築されるか、が重要です。
これを読み解く鍵が、日本語の表現にあることを、僕は発見しました。それは、「物心がつく。」という表現です。
つまり、物心は「持って生まれては来ない」わけです。
もう、お分かりですね。
僕が今日言いたいのは、あなたはあなたである前に、誰かになっているわけです。
僕は、僕である前に"はるき"になりました。
誰かの子供で、名前(はるき)という社会における記号を獲得し、兄弟ができ、こうして"はるき"が生まれました。
そして、成長する過程で、「物心」がつき、僕は僕になれたわけです。
そして僕がここで1番大事にしたい・伝えたいことは、"社会のアイデンティティとしてのあなたを好きでいるか?"ということです。
あなたは、社会というシステムの中の一プログラムに過ぎません。(一は全のやつ) 社会はあなたを、そこでしか認識しません。
故に僕は、後発的に目覚めた自我は、形作られているあなたを活かさなければならない。
あなたを形作る周りの人、環境、全てをあなたは認知し、そこに対する"自分の見せ方"をデザインしなければならない。
「僕はこうありたい。こう見せたい。」という感覚を皆さんは持っていますか?
僕は持っています。
僕は、地球上の誰よりも「はるき」でなければならないのです。いや、誰よりも「はるき」でいたいのです。
周りの人、親、原体験。
全てが、はるきを形作り、その中で僕が生まれたからです。
今までの道のり、そしてこれからの道のり。
僕はこれからも、「僕とはるきの2人」で、真面目にふざけて生きていきます。
皆さんは、「自我と社会性との対話」、出来てますか?
やってみることをおすすめします!
これまでどうしてきた、これからどうしてきた。そういうことを考えるきっかけになると思います。
これぐらいの抽象度でやるのが、本当の自己分析ですよ就活生のみんな!(笑)
また、この手の話について書きますが、今日はこの辺で。
皆さんの新たな学びになるといいなと思います。
VALUの支援もよろしくお願いします。
あ、前回の記事の質問に対する返答もください!!
さぁ、アップデートしようか。
帰省します!!
こんにちは、はるきです。
皆さんはクリスマス・年末年始はどのように過ごしますか?
僕は今日、実家・北海道の方に帰省します。
とりあえず、ブログは休まず更新したいと思っているので、よろしくお願いいたします。
すごい、200文字を切る勢いの短い記事ができた(笑)
200字超えないように今日はこの辺で!
あ、前回の記事で書いた質問にコメントください!!
さぁ、アップデートしようか。(本文196文字笑)
(相談したい!!) 効果的な自己紹介及び今後の方針!!
こんばんは、はるきです。
毎朝更新してたのに夜になってしまってすいません。
さて、他のところでも色々やっている僕だったりするのですが、昨日も嬉しいことにコメントを頂いて、
こんな感じで、「はるきさんってどんな経歴だったり、考えだったり持ってるの?」っていう声を頂けます。
このこと自身めちゃめちゃ嬉しいです。いや、何ならこれが狙いでブログ毎日更新するようになりました。
「何を」書くかよりも「誰が」書くか、の方が興味の度合いが高いからです。
こういった声を寄せてくれる方々は、僕のアウトプットとしてブログ(僕の一番外側)の情報だけで、「こんなこと書く奴ってどんな人間なんだろう??」と興味を持ってくださり、より本質的な僕の内側に迫りたい、と思ってくださったわけです。
どうしましょう。
自己紹介及び、今後の方針の案として、先程のコメントにあげた通り、
1. プロフィールページを作成する
2. ブログ自体をオリジナルのものにする
ただ、僕としてはそれもありですが、つまらない!
僕らしくない。
結局、それをやってる人は割といそうだし、差別化をするんだったらもっと面白いことがしたい(笑)
結局、「自己紹介の記事」にしてしまっては、僕の体温が感じられない。
やっぱり僕は、ブログをアウトプットの場にして勉強の最大化を図りたいわけで、こうなる展開は読んでました。ありがたいことに、予想より遥かに早い展開ですが!(笑)
しかし、ブログだとコメントのやりとりも出来ますが、リアルタイムではなくタイムラグがあるし、体温がない。
そこでブログからの学びを拡張するため、そして僕自身と読んでくれてる皆さんの声をより反映させるために考えたのですが、記事を書くのと並行して
1. showroomで週に数回配信をして、体温のあるインタラクティブな活動をする。
2. YouTubeに記事について、もしくは興味のあることについて語る動画をあげる
がいいかなと思いました。
だってその方が面白いし(笑)
僕だって言いたいことはあるし、見せたい部分があります。
僕自身、プロフページ作成or オリジナルブログを作成するのは、コスパが悪いなと思いました。ただ、現状そう思ってるだけなので変えるかもしれません。
動画もしくは配信の方が、インタラクティブでラグも少ないと思いましたが、実際やってみないとわかりません。
上手くいくようなら、配信のペースとかも上手く考えながらやりたいと思います。
皆さんはどんな風にしたら1番いいでしょうか?僕としては、
1. 僕の体温を感じられる
2. インタラクティブである
3. タイムラグを少なくする
が達成される手段がいいと思っています。
自己紹介もとりあえずは動画or 配信にしようかと思います。
だって何ならリアルタイムで僕の知りたい部分を言ってもらって、それに答える形の方がいいじゃないですか!
皆さんどうお考えでしょうか!?教えてください!
一応、やりたいこととかはさらっとVALUにも書いています。見てみてください!
さぁ、アップデートしようか。
人のあるべき関係性とは (平等と対等の違い)
おはようございます、はるきです。
案外毎日やるって決めたらネタも見つかるし思考も捗るしいいですね。
さて、今日は人の関係性ってものについて少し話したいと思います。
"天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず" (参照: 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず - 故事ことわざ辞典)
皆さんこの言葉はご存知ですよね?福沢諭吉さんの言葉です。
皆さんこれについてどうお考えですか?
"人は皆平等である"べきかもしれませんが、そんなこと今までできたでしょうか??
僕は理想論だと思います。
人が平等(イコール) なのって、「人であること」くらいだと思います。
身体的性別も違う、育った環境も違う、話す言語が違う、体系が違う、頭の良し悪しが違う。
一体何が等しいのか。
思うに、明治期の日本における
"近代国民国家の成立"がなされた時期だったからこそ、通用した理論かなと思います。日本は島国でほぼ日本人、ほぼ日本語を話し、国民教育を整えられた時期だからこそ、"人(日本人)は平等である"論が通用したのかなと思います。その一時期だけ。
これだけ、テクノロジーが発展して、プラットフォームの規模として国が一番ではなくなった時代において、まったく反映できてないように思います。
正しい人の関係性とは、「平等では無いが対等であれ。」だと僕は思います。
対等というのは、「人と人が向かい合う姿勢」のことです。"意思"です。
頭の良し悪し、性別、財力、あらゆるものが違うから、バックグラウンドでありその人自身の根底にある哲学も全て違ってはいるけれども、人と人とが関係性を構築する上で、僕はしっかり同じ目線で向き合うべきだと思います。
日本語・日本人のよくわからないポイントとして、「言語表現が平等でも対等でもない」点です。先日、「先輩には頭が上がらないです。」って例の後輩ちゃんに言われたんですが、その時から考えていて、「そもそも日本語って言語表現に対等がないなぁ」と。無論、他の言語でも表現として見下すものや差別もあり平等ではないけれど、日本語はそれに加えて、対等じゃない。
先程の例で、僕は彼女に、「頭上げてもらわないと僕は君と話が出来ないよ」って返したわけですが、そういうことです。
立場という意味で、人は平等ではないけれど、向き合い方として対等ではあるべきです。
合理的に考えて、日本語の敬語とか「話し方」にとらわれて、「話す内容」に気が回らないバカ・つまらない権威に固執するクソは、何をお考えなのかぜひお聞かせ願いたいと僕は思ってます。いや、丁寧語は必要です。ただ、過剰に敬語を要求するなと。(御察しの通り、僕は丁寧には話しますが、基本的に敬語で話せません。)
日本人のディスカッションの出来ない理由の一つとして、これも大きな理由だと思います。平等と対等を理解していない。
皆さんはどうですか?この話を聞いて、何か変わったでしょうか?何かあなたに変化をもたらせたら、僕は幸いです。
あ、VALUもお願いします。
約9ヶ月しかないので、何か手を考えなくては!!日本出たい〜!!
さぁ、アップデートしようか。
(悲報で朗報) はるき氏このままではトビタテナイ!!!
こんにちは、はるきです。
毎日頑張ってネタ探して思考してやってます。
やっぱいいですね、こうやってアウトプットを前提にしないと勉強とか思考する意味ってないと僕は思ってるので皆さんオススメですよ!
いや、そんなことはどうでもいい!
やばいんです。
僕トビタテ留学の8期に応募してたんだけども、ダメだったんです。。。
もうねー。
最高に興奮してるんですよ!!!
だって、僕の頭の中はもうトビタツことで一杯なわけです!
例えるならハンバーグが食べたい気分の時に、焼肉誘われても響かない感じ。
「もうハンバーグ以外考えられない!!」っていうのに相当する感覚が、僕にとっては"トビタツコト"なわけです。
さぁ、やばいぞー。
僕の空腹を満たせるものは、トビタツコトでしかないわけだ。
だいたい来年の9月とかに出発したいから、タイムリミットは"約9ヶ月"
どうしたものか。。。
いいですねー、最高に追い込まれてます。
僕はこの世の何よりも、"停滞"が怖くてたらないので、絶対行きます。
お金だとか、そんなもののせいで行けなくなってたまるか。
もう行くって決めて、行ける理由を今から作ります!(笑)
お金も集める、実力もつける、そして何より楽しむ!!!
「真面目にふざける」が僕の人生哲学なので。
さぁーやろうやろう、楽しみながら。
読んでるあなた、見ててください!
いっちょやったるから!
ってんで、VALUもおねがいします(笑)
さぁーて、アップデートしようか!!
この世界を支配する絶対の法則について。
こんにちは、はるきです。
今日は課題があったりなので、PCで書いています。よろしくお願いします。
さて、今日話すのは“この世界を支配する絶対的な法則”ってやつです。
いや、僕はそう思っていて実際に僕の哲学になっている考え方です。
前回の記事で、おすすめの本として「漫画」を挙げたわけですがそこにも通ずる考え方です。
unfinished-sasaharuki-update.hatenablog.com
それは、“一は全、全は一”ってやつです。
割と抽象度の高い考え方だと思うので難しいですが、少し触れたいと思います。
要は、「一人一人の集合体が全であり、その全は一が集まってできた集合体である」ってことです。
あなた自身は、「あなた」と見れば一つの肉体ですが、その一なる肉体を形作っているのは「細胞の集合」なわけです。
あなたの家族も、あなたの会社も、あなたの友人関係も全ての中に、「一により全があり、一の中に全がある」わけです。
こうやって考えると、世界は循環の中にあって、生き死にもその中の流れに従っているんだなあ、という気にもなりますよね(笑)
この循環の力こそ、世界の絶対の力だと、僕は思っています。
そこに意味はなく(生き死にさえも)、ただ“巡る”っていう事実だけです。
そしてこれをふまえて、"One for All, All for One"について考えてみると、僕は「あれ、一も全も同じやん」ってなったわけです。
そうなんです、「捉え方次第」かもしれません。
一と全を厳密に個別化・隔離して考えることは出来ない。
ただ、僕自身はこの考え方に意味を見出していて、数的なイメージでしか考えられませんが、僕の人生の哲学は"One for All"です。
何かこう、「発散と収束」のイメージで、
One for Allは、「発散(一人は皆のために)」
All for Oneは、「収束(皆は一人の為に)」って感じがしませんか?
僕は、僕と関わってくれる仲間(One)と共に、同時代の他者、あるいは次の時代を担う人たち(All)のためになるようにと、「世界の為に動くことが、逆説的に僕自身を表現することになる」ことが僕の理想であり、行動を決定する哲学です。
皆さんはこの考え方についてどうお考えですか?抽象度は高いですが、そうやって考えると、「世界は残酷だけど、残酷じゃない」ってなりませんか?(笑)
生きやすい世の中ですよ、そうやって考えれば!(笑)
なんか啓発の記事みたいになってますが、この世界について考えるきっかけになればいいなと思い今日書いてみました。
皆さんの世界に対する考え方を教えてください。お待ちしています。
さあ、アップデートしようか。
(全日本人いや人類必見) "自信"はどこにあるのか??
おはようございます、はるきです。
どうですか?スマホで書いた記事問題なく読めてますか??クレームもないみたいなので問題なしと受け取りますね(笑)
今日の本題ですが、ずばり、"自信"です。
これについて書くきっかけをくれたのはとある授業でのグループワークでした。
仲のいい後輩ちゃんがいたのですが、普段は元気なのにどういうわけか黙り込む。
「どうして意見出さないの?」と聞くと、「いや、皆さんがすごい意見出すから"自信"ががなくて」
ここでまた、僕の"思考スイッチ"が全開になりました。(笑)
天下の広辞苑で、自信を調べてみると「自分の能力や価値を確信すること。」とありますが、僕に言わせると足りないです。そこで僕の考えを、いくつかのステップに従って説明します。
ここでまず、注目したいのは自信に繋がる"動詞"です。
1. 自信が"ある、ない。" (自動詞)
2. 自信を"つける、つけない。" (他動詞)
これらの言い方がある。というのを頭に入れていただきたいと思います。
1は自動詞=自然発生で、2は他動詞=誰かの力が働いて発生する、という分け方ができます。
第二に、どちらが本質的な"自信"を表しているか、が重要なわけですが、僕は2番であると思います。
つまり、「他動詞=誰かの力が働いて発生した」という定義の自信です。
自信を生み出すのは、"あなた"ではなく、"あなたのいる社会・場"であるということです。
1と2の自信をわかりやすく言い換えると、
1. 自信=自分を信じること (自動詞的)
2. 自信=社会(場)における自分の信用度(他動詞的)
であると僕は定義しました。
先程の例に挙げた後輩ちゃんの「自信がない」は、自分を信じられないと言うより、「そのグループワーク(社会・場)において、自身の信用度があるのかわからない」だと思います。
皆さんの周りで、あるいはご自身で「自信がない」と口にされる方はどうお考えですか?
僕の勝手な妄想で喋ると、恐らく僕の指摘が正しいのではないでしょうか?
社会における、自分の信用度をあなた自身が認知できる程か、そうではないか。それが"自信のあるなし"ではないでしょうか?
自分を信じる(価値も知らずに盲目的に)っていうのは、よほどのバカか変態しかいないですよ。(笑)
社会的な動物とか何とか言われる人間が、社会において自分の価値を見出さずしてどうするのか。
自分を信じること、とか言う広辞苑もバカだし、そこに疑問を持たなかった先人達もバカですよねえ。。。
この、"信じる"という動詞が僕はどうも好きではないんです、だって信じるって「ないものをある」と決めつける"思考停止"のことじゃないですか。神さまとか。敬虔な信者の方ごめんなさい。(笑)
僕はその意味で、社会において自分の価値を与えられると思ってますしこれからぐんぐん伸びると思ってます!
信じると言うか、確定した事実だろう、くらい思ってます(笑)
皆さんの解釈はいかがでしょうか?
コメント等お待ちしています。
VALUもおねがいします🤲
皆さんの支援がないと僕はシリコンバレーに行けません!!!!
さぁ、アップデートしようか。